polaris-of-research’s diary

日々の思考の断片。あの日の記憶。

今昔物語

あまりにも天気がよく、逃避願望に駆られる朝。いますぐにでも登山に出掛けて、紅葉の絨毯に包まれていたい...などと妄想を膨らませる。一日中部屋の中に篭って仕事をするにはもったいない日だ。一方で、月末だから休みたいなどとは言っていられないほど多忙を極めるここ数日。理想と現実はいつもかけ離れているものである...。

毎日帰宅後は眠くて仕方ない。やることをすべて済ませたら早めに休むことにしている。昨日は21時半に眠りについた。小学生みたいな生活だ。

 

いやはや、小学生の頃はどんな放課後を過ごしていたのだろう。テレビを見たり、読書にどっぷりと浸かったり、習い事に行ったり、友達と遊んだりしていたのかな。今思い出すと、近所の幼馴染との時間はかけがえのないものだと身に沁みて感じる。彼女は芸術系の大学に進んだという話を聞いたが、成人式以降顔を合わせる機会がなかったので、今はどうしているのかわからない。

思えば、感覚でモノを見る力は彼女と一緒に過ごして自然と身についたのかもしれない。当時のわたしは文字列が織り成す空間には興味があったが、二次元と三次元とを往来する絵画の世界にはまったくと言っていいほど関心がなかった。それが今や、ひとりで美術館に足を運ぶほどハマってしまっている。どうしても観たい展示や企画があれば、どこへでも行った。時間を持て余した大学生の頃に赴いた横須賀美術館は特に心地よい場所で、展示を観ていたらあっという間に一日が過ぎてしまったことを思い出す。「中園孔二展」また観たいな。キャンバスを越えて迸る生には圧倒された。なんとしてでも表現したいという気概に凄く勇気づけられ、元気をもらった。こんなに奥深い芸術の世界があるのだと、幼年期のわたしに彼女が教えてくれたことを感謝している。

 

今は仕事を終えて帰れば眠りにつくだけの日々だが、朝は自由そのものだ。この時間があの日の登校風景、そしてその後の時間と重なる。わたしたちはまだ学校が開く前の早朝に一緒に自転車で登校し、先生たちが続々と出勤してくるのを横目に、校庭の隅にあるブランコに乗っていた。漕ぎながら、あれこれと話をした。家での出来事や、読んだ本の話、今考えていること、これからやってみたいと思っていること...。

 

わたしはあの頃から何も変わっていない。朝のこの自由で飄々とした時間を穏やかに、自分の好きなことをして過ごしている。文学研究ができる唯一の、大事なひとときは何物にも変え難い。あの日々を糧に、わたしは今日も朝から机に向かっている。